昨日は体の赴くままにプラクティスをしました。
太陽礼拝から始めて、頭はぐるぐると巡る。
ひとつひとつの動きにこだわらないように
さっさと流していくプラクティス。
呼吸の音すら消すために
音楽をかける。
呼吸の音や長さ、深さすらも気にしないように。
さらさらと流す、ひたすら流す。
おかげでよいプラクティスができました。
人生も時には執着しないためのディストラクションが必要。
それは日常の忙しさだったりする。
忙しくないときの人生は、バケーションそのもの。
肩の力が抜けてリラックスしていれば幸いだが、
もてあます時間の中で、思考だけがリピートされるのは、その瞬間を生きておらず、
形のない「なにか」に執着している証拠。
夜、私の心の師である、常岡一郎氏の「自然に学ぶ」を読む。
静かに、一人で、読む。
涙があふれ出た。
私の父が愛していた氏の魂が、
父を通じて私にも渡されたことを確信する。
自分の中心が、リセットされたような心持になった。
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1 Response to "中心-Center-Centre"
makino kaname km.81@live.jp said...-
-
August 6, 2009 at 5:54 AM
ゆりさんめっけ!久しぶりです。覚えてるかな?以前お世話になった、要です。相変わらずそうでなによりです。俺は今は、南米ペルーにいます。ペルーで結婚して先月娘も生まれました。マウイ島がなつかしくネットサーフしてたら見つけました。カイトサーフすごいねえ。流石です。俺もマウイ戻りてえ 笑
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